冨山さんの証し    

 私は大東市へ2006年10月に引っ越して来ました。翌年、5月の野崎まいりのお祭りで、教会からのチラシが入り、野崎キリスト教会を知りました。当時、パートですが、仕事をしていましたが、日曜日も仕事なので、教会のこと等、考える余裕もありませんでした。
 しかし、2010年5月に勤務が終了し、丁度、野崎まいりの時でしたので、真剣に考えるようになりました。特に、昔の事を調べるのが好きな自分には、野崎の教会がうってつけのように考えるようになりました。でも、教会へ行く勇気もなく、やっと、2014年5月、野崎まいりの5月3日(土)、とうとう、訪問しました。さほど、大きくもなく、アットホームな雰囲気が自分に合っているような気がしました。
 自分と教会とのつながりは、父親がお酒を飲むたび、頭をしばしば殴られ、落ち込んでいた小学校4年の頃、たまたま、近くに、蛍ヶ池蛍の空港が米軍に占拠されていた当時の従軍牧師が開いていた、日曜学校に通うようになり、親父に殴られた後等、日曜学校で教えてもらった歌を口ずさむと、心が癒されました。その後、教会から遠ざかっていましたが、学生時代、聖書通信講座を受けるようになり、卒業後、教会を紹介され、堺の教会へ通うようになり、そこで、洗礼を受けました。
 その後、転職で堺から豊中、そして、箕面に引っ越し、暫く、堺の教会へ行っていましたが、次第に、遠ざかってしまいました。その後、あちこちの教会へ行くも、心にピッタリとした教会に出会うこともなく過ごしていました。ただ、母親はミッション系の大学で、洗礼を受けていて、堺の教会で、洗礼を受けた時等、大変、喜んでくれました。その母親も、2009年9月、93歳で亡くなり、今は息子の奥さんがまた、同じミッション系大学卒ですので、教会に理解があるのではと、この間、メールをしました。私はこれからも、教会活動を続けていこうと考えています。

(2015年7月5日朝日放送ラジオ放送にて)