イエス様に遣わされた弟子たち!
                        ヨハネによる福音書20:19-29

 受けるよりは与える人の幸い
 最近、「受けるよりは与える人の幸い」(使徒20:35)を学ぶようになってきました。聖書の神様は人類の救いのために、ご自身の愛するひとり子イエス様を『生け贄の羊』として遣わしてくださいました(ヨハネ3:16)。その救いの完成のために十字架にかけられ、墓に葬られ、その墓石を打ち破ってイエス様は復活されました。
 それなのに弟子たちは、「イエス様を十字架で殺した兵士たちが、処刑するために自分たちをも捕らえようとしている」ことを恐れて、家の戸の内側から鍵をかけて脅えていました。
 あなたの量りは、神様の計器(はかり)を用いますか?弟子たちは自分たちの量りで考え、脅えて打ち側から鍵を掛けていました。
 「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます
 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」(マタイ7:11)
 これが神様の愛情の表現なのです。それなのに人間は「悪魔に騙されて」、心の内側から鍵をかけて恐れ脅えているのです。

 アダムとエバは罪を犯した時から、神様を脅えていました。
 神様が「手を差し伸べ」て下さり、「平安があなたがたにあるように」と彼らの中に来てくださいました。しかも「手と脇腹の釘痕・槍の痕」を示されました。その時、彼らははじめて十字架のイエス様の完全な救いを理解して、「弟子たちは主を見て喜んだ」20のです。あなたの信仰生活の中にこのような喜びの感動があったでしょうか。パウロは「あなたがたは人を再び恐怖に陥れるような奴隷の霊を受けたのではなく、神様の子供とさしてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます」。(ローマ8:15)

彼らに息を吹きかけて、「聖霊を受けなさい」と言われた22 
 神様の御言葉を通して、イエス様の霊的生命が心の中に注入され受肉するのです。
 あるクリスチャンの奥様の御主人が、ある時信仰を持ち、救いの喜びの生活に変えられました。人々は「あなたは何故(なぜ)クリスチャンになろうと思ったの?」と尋ねると、彼は「イエス様が台所にいるのですよ」と答えています。
 あなたの心の中にイエス様が来てくださるなら、回りの人々が、あなたの心の中にイエス様が共に居てくださることを発見します。
 野崎の教会の台所にも聖霊に充たされ、聖書から学んでいる御言葉が受肉する兄弟姉妹が増えるように願っています。間違っても「せっかく蒔かれた種が、悪魔である鳥に食べられないように」守ってください。イエス様が、今日もあなたの心の戸をノックしてくださっています。「誰でも、私の声を聞いて戸を開けるなら、わたしは、彼らと共に食事をし、彼も私と共に食事をする」(黙示録3:20)と言われています。神様と共に「神様の平安」をいただいて安心して日々の生活をしてください。
 この黙示録のメッセージの後、イエス様は、「 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい」と黙示3:21で言われています。
 イエス様が勝利を得て「父の御座に共に着いた」ように、今の私たちはイエス様と共に「世の終わりまで共にいる」のです。これが新新約聖書の恵みの時代の神様の子供への約束なのです。

不信仰なトマスにならないで…
 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。
 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。
 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。
 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
 イエスは彼に言われた。「あなたは私を見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネ20:24-29)

 あなたはイエス様を信じる側にいますが?
 それとも、神様に対する絶対的な信頼を持って進みますか?
 アブラハムの信仰と、それに従ったイサクの信仰を学ぶ時、信仰に生きた人々の幸せの奥深さを学んでいただきたいものです。
 神様にまったく信頼しているアブラハムと、アブラハムにまったき信頼をしている息子の行動の中に、信仰の深さ、広さを感じ取ることができます。