御言葉の種を心に蒔こう!
マタイによる福音書13:18-23

 神の御言葉の力
 R.A.トーレイ著の『神の力に満たされる秘訣』という本の中で、神様の力を受ける秘訣が書かれています。
 第一に「神の御言葉の力」を教えています。そして、第二に「キリストの血の力」。第三に「聖霊の力」。第四に「祈祷の力」。第五に「服従の力」が書かれています。
 クリスチャンにとって最も大切な力の源は『御言葉の力』です。聖書の第一ページには、「天地創造」の神様の御業が高らかに語られています。「初めに、神が天と地を創造した」(創世記1:1)と宣言し、「神は言われた。『光あれ。』こうして光りがあった。」と、神様が「言われる」と、言われた通りに出来上がってきたのです。
 創造の神であり、真実な神である、主が言われた事は必ず実現するのです。「私の言葉は、その時が来れば実現します」(ルカ1:20)。
 ヨハネによる福音書1章には、「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」1:1-3 
 永遠の昔から神様と共におられた御子イエス様が、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた」1:14と、私たちを救うためにイエス様が肉体をとられて私たちの世界に来られました。そして、十字架の上で人類の救いを完成してくださったのです。

 御言葉の種を心に蒔く時…
 イエス様は「種蒔きのたとえ」を通して大勢の群衆に語られました
1-「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。」4とあります。
2-「また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。」5-6
3- 「また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。」7
4-「別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。」8

 あなたは信仰の奥義を学びましたか?
1-種蒔きのたとえを聞きなさい。御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。18-19

2-また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。20-21

3-また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。22

4-ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。23

 神様の御言葉が、あなたの人生の中で根を奥深く拡げる事が出来るように、また石を取り除け、雑草を刈り取る仕事をアダムに委ねました。「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた」(創世記2:15)のです。
 乳と蜜の流れる約束の地を「耕し,守るよう」に、クリスチャンは神様の御言葉に従ってに鍬を入れて自己を耕し、雑草を抜くように悪魔の働きを取り除きましょう。 イスラエルがAD70年にローマによって国を失い彷徨っている間にアラブ人たちの国になってしまいました。戦後、祖国イスラエルに帰ったユダヤ人たちが見た祖国は長年、耕さずにいたために土が石のようになるほど荒廃した土地になっていました。「耕さず、守ることを怠った祖国は、『乳と蜜の流れる』祖国で無くなっていました」。
 
  教会はイエス様が中心となって、御翼の中に覆って、私たちを悪魔の手から命がけで守ってくださる所です。「良き羊飼は羊のために命を捨てる」ヨハネ10:11と言われたイエス様が支配して守ってくださる所です。