「『向こう岸に渡ろう!』と弟子たちに言われた」
          マルコによる福音書4:35-41

 その日の夕方になっての船出…
 私が神様の働きのために献身し、神学校に入って伝道の道を歩んで50年にもなりました。半世紀の間、神様の守りと恵みの中を歩ませていただき感謝しています。
 献身への御言葉は、最初に聖餐式にあずかった時に読まれた「主が来られる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである」(コリント第一11:26)との御言葉が、私の心の中に神様のメッセージとして聞こえて来ました。イエス様の再び来られる再臨の時に至るまで、イエス様の十字架の救いの福音を宣べ伝える使命をいただきました。

 私は北海道を開拓した屯田兵のように、自分の生活と、主の兵士としての戦いをしなければならなかったのです。パウロが語っているように、「私の戦いは最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。 悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。」エペソ6:10-12と、主の兵士となりました。
 いつも最前線に出てサタンと戦うことができました。皆が「火中の栗」を見て、恐れ、慌てふためいている時、敗戦処理投手のように呼ばれました。私が失敗しても、その教団にも教会にも傷がつかない立場ですので、便利な存在だったと思います。
 私にとっては福音宣教のための最前線で戦えることは感謝なことでした。イエス様が共にいて助けて下さる事を学んだならば、子供の讃美歌で、「主われを愛す。主が強ければ,我弱くとも恐れはあらじ」と歌いますが、信仰とは、イエス様と共に歩むことであり、神様の子供とされている事実なのです。「神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。」ローマ8:31-33と語られています。


 嵐の中での平安
 ある人が船客として船に乗っていると嵐に遭遇しました。乗客たちは恐れおののき,「わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」とイエス様の弟子たちが言ったように、混乱していました。
 その嵐の船の中で一人の子供が、揺れ動く船室の中で楽しそうに遊んでいました。一人の乗客が「僕、嵐の中で怖くないの?」と尋ねると、「大丈夫さ!この船の船長は僕のお父さんなんだから!」と答えました。
 人生は航海の様であり、「人生行路」と言われています。客船が沈んでも真っ先に逃げ出した船長もいましたが、イエス様は「私は良い羊飼である。良い羊飼は、羊のために命を捨てる」ヨハネ10:11と言われました。


 このイエス様が「向こう岸へ渡ろう」と言われた
 このイエス様が「向こう岸へ渡ろう」と、夕方になっているのに弟子たちに言われたのです。すべての事をご存知の、全知全能なる神の御子イエス様が、目的を持って弟子たちに船を出さしたのです。
 神様が言われた道を歩む事が大切です。私はクリスチャンになって「勝ち馬に乗る」秘訣を学びました。イエス様は弟子たちを嵐の吹き荒れる向こう岸に向かわせた目的は、5章に記されています。人々からは嫌われ、町から追い出された、悪霊に支配されている人物を救うために、船を夕方であり、嵐が来ることを知っておられながら、弟子たちを危険にさらしても、ひとりの魂を救おうと船を進めました。
 あなたの向こう側にも救われるべき魂がいるのです。「マケドニアに渡って、私たちを助けて下さい!」使徒16:9と懇願する,マケドニア人の幻をパウロが見て、「この幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだと確信したからである」。16:10
 野崎キリスト教会も、イエス様の心と同じ思いを持って「一人の人を大切にする」教会でありたいと願っています。向こう岸で助けを求めている人々の叫びに答えて、99匹の羊を野原に残して、「失われた一匹の羊」を探し求めて、救い出すことを目標とする教会です。

 自然界を支配される神様
 「風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。」39
 イエス様が「全知・全能の神様」であることを知っていますが、それを絶対的な確信にまで信仰が成長していないクリスチャンが多くいます。多くのクリスチャンは、イエス様が彼らに言われたように「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです」40と問われるクリスチャンが何と多い事でしょうか。聖書は「信仰がなくては神に喜ばれる事はできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである」ヘブル11:6と絶対的な神様に対する信頼を持つ野崎キリスト教会のメンバーとなりたいものだと思います。


 「彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った、『風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう』と」。41
 自然界をも支配される神様に感謝して祈りましょう。エジプトでの色々な試みや裁きから、神様はイスラエル人が住んでいたゴセンの地をわざわいから守られました。