人は変わりうる

私たち人間が生きていく中で、決して避けることが出来ないのが人間関係の問題です。

実に人はそれぞれ千差万別であり、人には長所も欠点もあります。

特に、人間は生まれながらに罪を持っており、

その生い立ちや環境、ストレス、その人の性質などの影響によって、

様々な問題行動に出たり、時には病気という形に現れることもあるのです。

 

ですから、様々な問題や悩みを抱えるだけでなく、他人を苦しめるような人もこの世には沢山います。

特に最近では、イスラム国と呼ばれるISという組織がテロ行為を起こして、

悲惨な事件を世界中で起こしていたりもします。

 

私たちの身近にも、テロ行為などはしなくても、

私たちを傷付けたり、色々な迷惑をかける人がいることがあるかもしれません。

あるいは、私たち自身が周囲の人に迷惑をかけている場合もあるかもしれません。

 

私たちは他者との関係の中で、誰かのことで苦しんだり、自分自身のことで悩んだりすることがあります。

私にもそのようなことがありました。

そんな時に神田牧師は私に、

「人は変わりうる」

と何度も言って下さったのです。

どんな人でも、何歳になっても、人は変わることが出来るのだ、と。

 

聖書に、預言者エレミヤが神様に導かれて、

陶器を作る陶器師の家に行くという場面が出てきます。

 

 私が陶器師の家に下って行くと、ちょうど、彼はろくろで仕事をしているところだった。

 陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた。

 それから、私に次のような主のことばがあった。

「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。-主の御告げ-見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。」

(エレミヤ書18章3~6節)

 

神様は陶器師が陶器を作るように、人を作り替えることの出来るお方です。

人が現在どのような状態にあろうと、その人が神様の手にゆだねられたなら、

神様ご自身がその人を神様の作品として、新しく作り替えて下さるのです。

 

私たちは、人と調和するために様々な努力をしたり、相手と話し合いをしたりしますが、なかなか相手の態度ややり方が変わらないこともあるでしょう。

また、自分自身が変われないこともあるかもしれません。

そのような時、もうダメだと絶望してしまうかもしれませんが、

まずはその人自身を神様の御手にゆだねることが大切です。

私たちが自分や人のために神様に祈り、神様の御手にゆだねていくなら、神様がご自身の時に、最善の方法で、その人を作り替えて下さるという信仰を働かせていこうではありませんか。

神様が働いて下さるなら、「人は変わりうる」のです。