神様の御手の中で

すべては神様の御手の中にある。-クリスチャンはよくこの言葉を使う。
教会に通っていると、「神様の御手に委ねる」ということを教えられ、
自分もそうすることが良いと信じるようになる。
しかし、このことが分かっているようでよく分からないこともあった。
 
ところが、ある時に神田牧師が見せてくれた一枚の絵とその説明が、
自分の信仰を励まし強めてくれた。
 
それは、丸い地球があって、その地球を神様の大きな両手が神様のものとして抱えている絵であった。
牧師はさらに、聖書の冒頭である創世記1章1~2節の御言葉を開いた。
「初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。」
最後の「神の霊が水の上を動いていた。」というのは、現代語訳聖書によると、めんどりが自分のひなをかばうように翼でおおっている、という意味である。
すなわち、この世界の初めから、神様はこの地球をめんどりがひなをかばうように覆い守って下さっているということである。
 
このことを自分の頭の中で想像すると、何かとても安心し、神様にますます信頼する気持ちが生まれてきたのである。
 
創世記1~2章では、神様が人間を造られ、いのちの息を吹き込まれ、人間にこの地を託されたことが書かれている。
この世界を創造された神様は、この地球を私たち人間に委ねられ、地上には様々な営みがなされているが、
人間のすべての営みも、自然界も、最終的には神様の御手の中にあるのだ。
 
地球上には、毎日様々な出来事があり、
私たちの周りを見ても、いつも楽しい幸せなことばかりではなく、
混乱や悲劇や、危険や不安を覚えるようなことも色々ある。
しかし、神様は今も地球をご自身の大きな御手の中で支配し、守っておられる。
だから私たち人間は、いつでも安心して神様の御手に憩うことが出来るのだ。
 
たとえ世界がどのように混乱したとしても、神様はめんどりがひなをかばうようにこの瞬間も私たちを守っていて下さる。
特に神様を信じるクリスチャンは、神様の宝の民として生かし、助け、神様の作品として導いて下さっている。
私たちは神様の御手の中で安らぎ、これからも神様にすべてのことを委ねつつ歩んでいけるのである。